2011.06.28 : 平成23年厚生委員会
「広域火葬体制」
◯早坂委員
次に、広域火葬体制について伺います。東日本大震災では、ご遺体の数が膨大で、遺体安置所や火葬場が追いつかず、ご遺体の損傷が進んだため、やむなく土葬を認めることになりました。
そこでまず、ご遺体は必ず火葬しなければならないのか伺います。
◯鈴木健康安全部長
墓地埋葬等に関する法律では、遺体を土の中に葬る土葬について、埋葬として規定しておりまして、法律上、火葬せずに土葬することも可能です。しかし、平成二十一年度の厚生労働省の統計によりますと、火葬が全体の九九・九%以上を占めており、土葬される遺体は、実際にはごくわずかであります。
今回の被災地の一部では、火葬が十分に行えない状況であったため、火葬ができるようになるまでの間、やむを得ず一時的に遺体を土葬する、いわゆる仮埋葬が多数行われました。
◯早坂委員
本年三月二十三日の産経新聞にはこんな記事が出ています。目の前には毛布でくるんだ上から粘着テープを巻いただけの父親の遺体が横たわる。白髪まじりの頭や黒ずんだ足が無残に露出している。お願いしますって市役所に任せたけれど、袋すらかかっていない、何体埋めるか知らないけれど、こんなんで始めるものじゃないと男性はやり場のない怒りをぶちまけた。ひつぎも用意されず、薄いベニヤ板で辛うじて仕切られた穴に、次々とご遺体が埋められていく。そこに立ち会うご遺族の心中は察するに余りあります。
東京都は八百六十体の火葬協力を行いました。犠牲者が多数発生している事態を受け、東京都は瑞江葬儀所などで被災自治体からの火葬協力要請を待っていましたが、当初、要請はありませんでした。宮城県に設置した東京都被災地支援事務所の所長が、知事を本部長とする宮城県災害対策本部の会議に毎回出席していることから、協力体制が動き出したのです。すなわち、県の災害対策本部会議でご遺体の埋葬について困っていることを察知した東京都の所長が、東京都が受け入れるから要請をしてほしいと、こちらから県に申し出たのです。
本当に困っている人は、何かお困り事がありませんか、何でもお手伝いしますよと声をかけてもらっても、困り事がたくさんあり過ぎて、何から頼んだらいいかよくわからないことがあります。それと同じで、被災した自治体からの支援要請を待っていたら、被災の程度がひどいときほど、逆に何も頼まれないことは想像にたやすいことです。つまり、被災地支援のマッチングは、支援を行う側から支援可能なメニューを提示することが大切なのです。自治体の災害支援は、先方自治体からの要請を受けてスタートするものが多いようです。しかし、今回のように、こちらから、これは私たちが受け持ちましょうと申し出て、それに対して、ぜひよろしくという要請を受けることが実態的だと考えます。
さらにつけ加えれば、火葬協力の仕組みは、本来、ご遺体を東京まで運んできてもらうことが前提となっています。しかし、今回は、こちらから車を出し、お迎えに行った。そういった相手の事情を思いやる姿勢が火葬協力がうまくいった一因だと思います。
話を戻します。実はこの質問原稿をまとめる上で事実関係を再確認しました。そうしたところ、早い時期に全国知事会から二度、そして厚生労働省から一度、火葬協力の可能性に対する問い合わせが来ており、三度とも東京都は受け入れ可能と返事をしていたというのです。しかしながら、その答えは宮城県側には伝わらなかった。
今回の火葬協力は、マッチングを考える上で極めて興味深い事例だと思います。東京都が宮城県から多くのご遺体を搬送し、火葬協力が成功した要因は何だと考えるか伺います。
◯鈴木健康安全部長
火葬協力を終えることができた主な要因としては、まず第一に、円滑な火葬協力を行っていく上で重要となります現地の実情と火葬需要の把握に努め、搬送、火葬の体制を整えたことであります。
急遽、現地に派遣した担当職員が宮城県及び県警と協議するとともに、遺体安置所に赴き、身元不明のまま火葬することにちゅうちょする市町村の事情、現地で遺体の搬送手段を確保することの困難さ、次々と遺体が運ばれてくる安置所の収容限度等の課題を直接把握いたしました。
これを受け、遺体の搬送手段を都が確保し、県及び県警との協議により、多数の遺体を迅速に搬送し、火葬する体制を整えた上で、地元市町村と詳細な調整を行い、受け入れを開始いたしました。
第二に、都は、都内が被災した場合を想定した東京都広域火葬実施計画を策定しており、この計画を活用し、対応できたことであります。都は、この計画に基づきまして、遺体搬送や火葬に関する協定を関係団体等と結んでおりまして、毎年、都と火葬場、葬祭業者、近県との間で通信訓練を実施しております。こうした平常時からの取り組みが有効に機能したことで、瑞江葬儀所、民営火葬場、臨海斎場との調整や遺体搬送が円滑に進んだものと考えております。
第三に、現地の遺体数や火葬場の復旧状況に応じ、搬送、受け入れ方法を見直し、対応したことです。当初は、一般火葬の機能を維持しながら、一度に多数の遺体を受け入れるため、一定期間、一部の施設を被災者専用といたしました。その後、現地火葬場の復旧もあり、受け入れ数が緩やかに減少したため、複数の火葬場において一般火葬終了後の夜間に火葬するなどの対応を行いました。
このように、現地の実情や変化を把握し、随時対応を見直したことにより、火葬協力が終了したものでございます。