2013.03.13 : 平成25年度予算特別委員会
「オリンピック招致を契機に、3都市間で特別な友好関係の構築を!」

◯門脇副委員長 早坂義弘委員の発言を許します。
   〔門脇副委員長退席、村上副委員長着席〕

早坂委員

 さあ、いよいよ二〇二〇年、夏季オリンピック開催都市の決定が半年に迫ってまいりました。関係者の皆様の精力的なご努力に心から敬意を表します。
 スポーツの魅力は、単に勝ち負け、あるいは自分自身の限界に挑戦することのみならず、対戦相手にも十分な敬意を払うことにあると思います。これぞスポーツマンシップです。
 その精神からすれば、二〇二〇年東京招致をかち取ることは、極めて大きな目標ではあるものの、単に招致の成否だけに拘泥するのではなく、今回の対戦相手であるスペインのマドリード、そしてトルコのイスタンブールという国家や都市に十分な敬意を払うべきです。
 そこで、本日は、トルコと我が国に関するあるエピソードを紹介したいと思います。
 明治二十三年、一八九〇年九月、現在のトルコ、当時のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、明治天皇への親書を携え、我が国を訪れました。その帰り道、折からの台風にあおられ、和歌山県紀伊半島沖で沈没、乗組員五百八十七人が死亡、生存者はわずか六十九人という大事故が起きました。
 とても貧しい漁村であった本州最南端、現在の和歌山県串本町に流れ着いた船員たちに対して、当時の村人たちは、みずからのわずかな蓄えをすべて供出しました。また、明治天皇の指示により、遭難した船員たちは手厚く支援され、我が国の軍艦によって祖国まで送り届けられました。
 十分な通信機器も救助資機材もない明治時代のこと、初めて見る外国人を人肌で温めたり、大切な鶏を村じゅうから集め、彼らに食べさせたりなど、貧しいながらも、当時の我が日本人の気高さを示す出来事です。
 この美談が我が国の新聞に掲載されたことで、日本全国から多くの義援金が寄せられ、また、この一件に深く感動したトルコ、オスマン帝国国民は、遠い異国である日本に深い尊敬と親近感を抱いたとされています。
 ちなみに、周辺状況として、当時のオスマン帝国は、ロシアの南下政策に悩まされていました。エルトゥールル号遭難事件から十五年後の明治三十八年、一九〇五年、同じくロシアの南下政策に悩まされていた我が国が日露戦争に勝利したことで、トルコ、オスマン帝国は大いに沸き立ち、我が国に対する親近感がさらに増したそうです。
 このお話には、後日談があります。時代はずっと進み、昭和六十年、一九八五年のイラン・イラク戦争です。両国の都市爆撃の応酬が続く中、イラクのフセイン大統領は、四十八時間を猶予期限に、敵国であるイラン上空を飛ぶすべての航空機を無差別に攻撃すると発表しました。そこで、世界各国はイランに救援機を出し、自国民を国外脱出させていました。
 しかし、我が国は当時の自衛隊法により自衛隊機を派遣できず、また、日本航空、JALも労働組合から危険なフライトはできないと猛反対があったことから、特別機を出せずじまいでした。そんな中、トルコ航空が、二機、日本のために特別機を出すことを申し出てくれ、無差別爆撃までわずか一時間というタイミングで日本人二百人が無事イランを出国できたということがありました。
 当時の一部マスコミは、トルコの行為は我が国の経済支援を当てにしたパフォーマンスと酷評しましたが、これに対し、在日トルコ大使は、百年前のエルトゥールル号のお返しをしたまでと、静かに語ったそうです。
 私は、今回の立候補をきっかけに、ライバル都市イスタンブールのことを調べることでトルコが大好きになりました。そういう国と二〇二〇年大会を競い合えるのは、何てすばらしいことだろうと思います。この都議選が終わったら、この都議選で当選できたら、ぜひトルコに行ってみたいと思います。
 ここで、一つ提案があります。今回の二〇二〇年夏季オリンピック招致をきっかけに、スペインのマドリード、トルコのイスタンブール、そして東京の三都市がスポーツ交流を核にした特別な友好関係を築くような働きかけを、東京がしてみてはいかがでしょうか。
 例えば、毎年二千二十人の子どもたちが三都市を相互に訪れ、スポーツを通じて交流し合うというのも意義深いことだろうと思います。それは、スポーツを通して、平和でよりよい世界をつくるというオリンピック憲章の新たな体現方法だと思うからです。
 子どもたちに関連して、もう一つ提案があります。現在、我が国ではジュニアオリンピックが開催されています。これは、JOC、日本オリンピック委員会加盟の競技団体がそれぞれに主催しており、その内容はジュニア単独の大会、日本選手権の一部として行われるものなどいろいろです。
 調べてみると、アメリカにおいても、同様のジュニアオリンピックが開催されているようですが、いずれも国内向けのものです。その国内向けの大会を広く世界に向けたものにするために、二〇二〇年東京大会での収益をその基金に充てるというのはどうでしょうか。
 なぜ東京はオリンピックに立候補したのか。それは、都民にとって利益があるからです。その利益とは、心のデフレ脱却、三兆円の経済効果、東北の復興支援などなど、どれもが重要なものばかりです。これらが都民の理解を得ることができたおかげで、国民支持率は七〇%にまで上昇しました。
 しかし、その利益は、単に東京都民、あるいは日本国民だけにとどまるものなのか。いや、そうではない。東京のオリジナリティー、日本のすばらしさがオリンピックムーブメントにこんな貢献をするのだというメッセージなくしては、百一人の国際オリンピック委員の投票行動には結びつかないだろうと思います。
 IOC委員の皆さんが、三都市を比べて東京の方がいいかな、ではなく、ぜひ東京にやらせたいと確信を持って投票していただくために、東京は最後の半年でどんなメッセージを発信するのか。
 二〇二〇年大会がどうして東京でなくてはならないのか。二〇二〇年東京での開催をこれまでの三十二回のオリンピックの中でどんな特別な意味を持った大会にするのか。アイデアはいろいろあります。
 知事の大きな視点に立ったご見解を伺います。

◯猪瀬知事

 トルコは、イスタンブールは、三十年前にボスポラス海峡に橋をかけたのは日本の会社なんですね。イスタンブールの海底、地下をヨーロッパ側とアジア側を結んでいるトンネルを今やっているのは日本の会社なんですね。それはそれなんです。
 今、いいたいこといっぱいあるけれども、イスタンブールとマドリードの悪口はいっちゃいけないんです。ネガティブキャンペーンはしちゃいけないことになっている。だから、東京のいいところをきちんといわなきゃいけない。
 そういうことで、二〇二〇年オリンピック・パラリンピックは、こういう言葉がある。二つの言葉、ディスカバー、トゥモロー。
 IOC評価委員会東京訪問の閉会に当たり、この言葉を再確認して、日本は、東洋でもない、西洋でもない、独自の文明を持っている。つまり最もあしたに近づいている。先進国というのはあしたのモデルはわからないけれども、途上国は先進国のモデルを追いかけるわけ。先進国は未来を自分で探さなきゃいけない。しかし、それはある程度、この洗練されて独自の文明をつくり出したこの東京にあるんだと。それは日ごろ皆さんが一番感じている──おもてなしを含めた我々自身の細やかな心や感情や、そして気遣いや、そういうものの中にあふれているんですが、それを外国人に伝えるというのは非常に難しいんです。
 我々は外国から帰ってくると、東京は一番いいねと思います。これは間違いなく思っている。しかし、そういうことを、外国から日本に来たことのない人はわからない。あるいはIOC評価委員だって、四日間ぐらいいただけじゃ、なかなか本当の東京の姿、下町だって行っている暇はないですから、競技場を視察して、そしてオリンピック・パラリンピックの東京大会の中身をきちっと説明しなきゃいけない。ですから、あのIOCの評価委員は、四日間、物すごく忙しかったですよ、朝から晩まで。昔みたいに接待とかないんですから、今は。
 そういうファクトをきちっと伝えるということが一番大事で、皆さんが日ごろ感じているよさを四日間に凝縮してどう伝えるか。皆さんが感じているこの東京のよさは、オリンピック・パラリンピックをやるにふさわしい場所だという気持ちが皆さんにあると思うんです、既に。その気持ちがあれば──そして国立競技場、あの新しいデザイン、あれはイラク出身でイギリスでずっと活躍した女性の建築家です。トゥモローというイノベーションの東京の姿を、ああいうスタジアムのデザインの中で、あれは安藤忠雄さんを含めて国際コンペで選ぶんですね。日本人の優秀な人もいたんだけれども、ちょっと惜しかった。構造上、ドームが開くか開かないかというところがあって、構造設計の問題でちょっと無理があると。日本人のすごくいい、これも女性の建築家だったんですけれども、残念ながらそのイギリスの建築家になりましたが、でも、すばらしい、やはりトゥモローという感じをあらわしたデザインだと思っています。
 それから、この東京というのは、一晩でできたわけじゃなくて、江戸時代からいろんな伝統をさらに深めてきて、我々自身の持っているこの心と、それから蓄積した伝統文化の深さですね。こういうことで、オリンピック・パラリンピック、二〇二〇年には、IOC、あるいは世界のスポーツ界、世界のお客さんに対して、東京のよさを今度は差し上げるという形になると思いますね。
 そういうことで、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック、最高のホスピタリティーでイノベーションの力を見せて、そしてオリンピック・パラリンピック大会の歴史に新たなインパクトを持ち込んでいく、そういうつもりでいます。

早坂委員

 ホスピタリティーや国民支持率の点数を競い合うことは、もちろん大切なことです。ですが、東洋と西洋のかけ橋、最高のおもてなし、ホスピタリティーは、いずれもライバル都市イスタンブールのセールスポイントでもあります。招致をかち取るために、それらに加えて、全く別の切り口から、百一人のIOC委員を圧倒するような提案をぜひ仕掛けるべきだと思います。
 私はどうしても二〇二〇年東京オリンピックが見たい。そして、その二〇二〇年東京オリンピックは、オリンピックの歴史に残る最高のものであってほしい。そんな思いで、またいろいろと提案させていただきます。ありがとうございました。